shastahealing.com  大阪と東京を拠点に『ヒーリング教室 シャスタ』を主宰。ヒーリング教室や瞑想教室を開講しています。北カリフォルニアのシャスタ山やエネルギーワークについて徒然に書いています。
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コクリア・インプラント

(『Sound and Fury』より引用)

今日、大阪府立生野聴覚支援学校のバザーに行ってきました。
ここには聴覚障がいや知的発達障がいを持つ子供達が通っています。
会場では、子供も大人も日常生活の中で手話で会話をしている風景を見て、ちょっと感動しました。

そこにいた子供達の中に、「コクリア・インプラントをしているのでは?」と思える補聴器を付けている子供がいたので、以前見た聾唖者とコクリア・インプラントをテーマにしたドキュメンタリー映画、『Sound and Fury』(日本名: 音の無い世界で)を思い出しました。以下、映画の情報です。

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Sound and Fury』(日本名: 音の無い世界で)
製作: アロンソン・フィルム・アソシエイツ、
製作: ロジャー・ワイズバーグ
監督: ジョシュ・アロンソン

内容: 聾唖者のために生まれた最新技術、コクリア・インプラントが起こす波紋をとらえるドキュメンタリー。
(映画の詳しい内容、下記のリンクページからの引用です。
http://americatvfilmnotes.web.fc2.com/Sound_and_Fury.html)

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(コクリア・インプラントについての簡単な説明、以下のリンクページからの引用です。
http://www.angelfire.com/wi/caretheworld/japanese/us_child/deaf.html
最新技術で生まれたコクリア・インプラントは大がかりな手術によって頭蓋の中の聴神経を司る部分に、電気的に音声信号を補強する小さな人工内耳を埋め込むものだ。下の図を参考にしてほしい。このインプラントは小さいうちに入れるのが一番効果があるという。語学の習得は幼ければ幼いほどよく、まだ固まっていない、柔らかな頭脳が必要だ。大人になってから新しい言語を習得しようとしても、簡単にはいかないのと同じで、聾唖者のコクリア・インプラントの埋め込みも、幼ければ幼いほどよいとのこと。二十歳になってインプラントを埋め込んでも、ほとんど効果はないそうだ。そのため、聾唖の子を持つ親は、まだ物心もつかない子供にこの手術を施す。

リンクページからの引用

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コクリア・インプラントで音が聞こえるようになるという事は、個人の成長となり未来への可能性が広がり、とても良い事だと単純に考えてしまうのだが、現実にはそう簡単にはいかない。聾唖者と健常者と別けてしまう社会意識が根本的な問題となっているのではないかと思うのだが、色々な問題が発生してしまう。

コクリア・インプラントの技術が開発されて、初めてこの手術を受け器具をつけた20歳ぐらいの男の子は、社会生活に馴染めなくなった。それまで手話で人とコミュニケーションしていたのが、初めて経験する音の世界、言葉の世界に触れ、さまざまな音の洪水の中で、上手くコミュニケーション出来なくなってしまう。そして遂には再度手術をして器具を外してしまう。

人間の脳は、耳から入ってくるさまざまな音の情報の中から、必要な音だけ、たとえば理解可能な言葉を選ぶという事を知らず知らずの間にしている。それは小さい頃からの訓練によって出来る事なのだ。それが成長してから生まれて初めて音の世界に触れ、さまざまな音の洪水の中に突然投げ入れられてしまうと、多くの処理しきれない音の情報の中で溺れてしまうような状態に陥ってしまう。

それは例えば、静かで情報があまり届かない田舎に住んでいた人が、突然都会の真ん中に住んで、聞きなれない都会の音や色々な人の声や様々な情報に触れるという状況に似ているのかもしれない。
都会に住めば住んだで、人間は時間をかけて新しい状況に順応するものなのだが、聾唖者の場合、聾唖者と健常者と別けてしまうという社会意識という壁にぶち当たってしまう。

映画の中では、自分の子供が聾唖のコミュニティーから出て行ってしまうのではと危機感を持ち、そして言葉を喋れるようになっても差別を受けるのではと危惧する父親が、子供が手術を受けるのを反対してしまう。喋るという事、音でのコミュニケーションにさほど重要性を感じなく、コクリア・インプラントは親子の絆を壊す害であると結論づけてしまう。

映画は10年程前に製作されていて、製作当時の意識は現在の社会の取り巻く状況とはとは異なっていて、現状ではコクリア・インプラントに対する考え方、そして聾唖者に対する社会意識というのには変化があるとは思う。それでも社会のマイノリティーが彼らだけのコミュニティーを作って、そこに安住の地を求めようとする気持ちは理解出来る事で、彼らが経験してきた辛さや苦しみも察する事が出来る。映画を見ていると多くの社会の疑問ややるせなさが頭に浮かんできた。

しかし映画は、結局何も結論をつけることは無く、多くの疑問に対しての答えは何も出さないで終わってしまう。人間にとって何が幸せで幸せでないかなんて他の人には結局の処、解らないものなのかも知れないと思わされる映画だった。
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by rev-umachan | 2011-11-05 20:10 | アルジャーノン プロジェクト | Trackback | Comments(0)
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