shastahealing.com  大阪と東京を拠点に『ヒーリング教室 シャスタ』を主宰。ヒーリング教室や瞑想教室を開講しています。北カリフォルニアのシャスタ山やエネルギーワークについて徒然に書いています。
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絵を見る時 (絵1)
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絵を見る時、人は幾つかのプロセスを経て、「頭の中で絵を理解する。」という行為へとたどり着く。
絵は、絵の具の特性、ある特定の光りの周波数を反射するという特性を利用して、複雑に絡み合った色々な光りの周波数、色のシンフォニーを放射する。
そして色となった光は、人の目の中に入り、目の内側にある網膜を刺激する。そしてその刺激は、複雑な電気信号へと変化し、神経細胞を経て脳へと伝わる。

脳へと伝わった電気信号は、脳の中で現実にある絵を再現する。人は、その再現された絵を見て、分析し、理解しようとする。
その時、人は絵から得た情報と、自分が過去に経験した事柄を、照らし合わせようとする。過去の経験を通して、絵を見ようとする。
そうしてやっと人は、絵を理解する事が出来るのだ。

だから、人は絵を見ていながら、実は自分の経験した事柄を見ているとも言える。

人間は、自分の経験した事柄しか理解できない。
もちろん、テレビや映画を見たり、本などを読んで、それらから疑似体験する事は出来る。
しかしそれらの疑似体験も、ある程度の経験がなければ理解出来ないし、経験の度合いによっては疑似体験の理解度も限られてきたりする。

初対面の人に会って、話をする時の事を思い浮かべてみよう。
その人と何となく気が合わなかったりする。そうして、その人と話をしたくないという気持ちが出てくるとする。たいていの場合、その人とはそれっきりで、話をするのを避けるようになる。

その時、人は「気が合わない人」を見ながら、実は自分の経験した事柄を思い出しているのだ。
その経験は、心に大きな傷をつけるような、思い出そうとするだけで嫌な経験なのかもしれない。そういう場合、その思い出に蓋をして、思い出そうとしなくなる。

気が合わない人と話すだけで、昔の、痛い記憶が込み上げてくる。
だから、その人との間に壁を作り、避けようとする。

どうしても、その相手と話をしなければいけない時は、その人の話を聞くだけで、訳も解らずに怒り出したりする。
「この人はわざと、私が頭にくるような事を言っているのだ。」とも思えてくる。


その時に感じる、怒りという行為。それを分析してみる。
怒っている相手は、「気に食わない人」なのだが、よくよく考えてみよう。
何故、その人に対して怒っているのだろうか?

その「怒る相手の人」を見ている自分がいる。そして、その人を理解するために、過去の経験から記憶を引き出そうとしている自分がいる。何故そうしているかと言えば、その人を理解するためには、自分の経験を照らしあわせなければ理解出来ないからだ。

相手を理解しようとする時、自分が思い出したくない記憶が蘇ってくる。だからその人を見ると、自分の心が痛くなってくる。

その時、怒りという感情が前面に出るのは、一時的ではあるが、怒りによって痛みを忘れる事が出来るからだ。そして、痛みを感じる前に、その痛みの元凶である記憶の上に蓋をしてしまう事が出来るからだ。
だから、「気が合わない人」に出会うと、怒り出してしまう。

そうやって人は、痛い記憶の上に蓋をしてゆく。
しかしそういう、「痛い記憶の上に蓋をする人」に限って、「気の合わない人」に多く会うようになっている。そうして、何度も怒ってしまう。
怒りという感情を前面に出して、自分の記憶の上に蓋をしてしまう人は、遂には、「何重にも蓋の上に蓋をしていくという行為」をしないと、気がすまなくなってくる。

「気が合わない人」に会うと、怒って、記憶の上に何重にも蓋をしていく。そうしているうちに、何度も何度も怒るようになってくる。
そして遂には、自分がいったい何に対して怒っているのかが解らなくなってゆく。
「自分の心の痛みを感じないで済む。」という理由の為だけに、怒りという感情を前面に出すようになってしまう。

「歳をとると怒りっぽくなって、忘れっぽくなる。」というのは、そういう「痛い記憶に何重にも蓋をする行為」のせいなのかもしれない。
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by rev-umachan | 2008-12-25 15:48 | | Trackback | Comments(0)
ミッドナイト スウェット ロッジ
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2007年12月31日、深夜、私は年越しのスウェット ロッジの儀式に参加した。
メキシコからカナダまで縦断している国道5号線。その道をマウント シャスタから30分位、車で北上する。そしてオレゴン州の州境のあたりで国道を降り、暗闇の中、小さな田舎道を走る。すると、小さな温泉施設、スチュワート スプリングスへと辿り着く。
そこが、スウェット ロッジの儀式が行われる場所だ。

スウェットロッジを唯の高温サウナだと思っている人がいるかも知れないが、そうではない。スウェットロッジとは、ネイティブアメリカン達の間で、北米と南米の両大陸にまたがる広範囲の地域で、気の遠くなるような昔から行われてきた神聖な儀式なのだ。
ネイティブアメリカン達は、遠い昔、遥か太古の時代からアメリカ大陸に住んでいた。最近の発見では、紀元前5千年の人骨がカリフォルニアで発見されたというのだから、どれ程昔から彼らがこの土地に住んでいたかというのが想像できる。
その彼らが、祖先から受け継いできた神聖な儀式。それがスウェット ロッジだ。


スウェット ロッジが行われる、真っ暗闇のテントの中。焼けた石だけが薄暗く、静かに、ぼんやりと赤い光を放つ。
その焼けた石の上へ、乾燥させた薬草をパラパラとを振りかける。振りかけた薬草は、石の上で線香花火のように、チリチリと一瞬赤い光を放っては黒くなり、燃えていく。そして燃えた薬草は心地よい香りへと形を変え、私の心と身体へと浸透していく。

焼けた石の上へ、冷たい水をかける。水は一瞬にして熱い蒸気となり、テントの中へと充満する。
蒸気は上から下へと降りてきて、私の身体を包み込む。私の皮膚は、熱さで麻痺して、何も感じなくなる。一瞬、熱い蒸気で息が出来なくなる。
しかし、テントの外には、数日間降り続いた雪が大分積もっている。テントのそばを流れている川の水も凍っている。だから、テントの中の熱い蒸気の温度もすぐに下がってくる。じきに、薄い敷物を通して、冷たい地面の感触も気になってくる。

時折、テントの入り口を開けると、青白い月明かりに照らされた外の世界が、ぼんやりと目の中へと入ってくる。そしてテントの中の熱い蒸気は、すぐに外へと逃げていく。私達が流した汗や熱気は、蒸気となって冷たい空へと登っていく。そしてその代わりに、外から冷たい空気が中へと入り込む。その冷たい空気に反応して、私の身体は一瞬にして引き締まる。

テントの中では、自分自身の心の探求が行われる。私は、心の中の深い深い、深遠な処へと降りていく。そしてそこで、自分の答えを見つけようとする。
しかし、私は、答えを見つけようとはするのだけれど、そうそう簡単に自分の求める答えを見つける事が出来ないでいる。

「見つけた。」と、思う時もある。
「見つけられない。」と、感じる時もある。
「何時、見つかるのだろう。もう見つからないかも知れない。」と、思う時もある。
「答えというのは、見つけられなくてもいいのかもしれない。」と、思う時もある。
「答えを見つけようとする過程が大切なのだ。」と、思うようにもなった。
私は昔に比べ、答えを見つける事に執着しなくなったのだろうと思う。自分自身を窮地に追い詰める事をしなくなったのだろう。何に対しても柔軟になったのかも知れない。

暗闇のテントの中では、色々な事を思う。自分の心の深遠な処から、色々な思いが心の表面へと登ってくる。それらの思いは、言葉になったり、絵になったりしながら、頭の中へと浮かんでは消えていく。
そしてそれらの言葉や絵は、蒸気となって、冷たい空の彼方へと消えていく。
後には、綺麗な星が見えるだけだ。
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by rev-umachan | 2008-12-21 07:02 | シャスタ ヒーリング | Trackback | Comments(0)