shastahealing.com  大阪と東京を拠点に『ヒーリング教室 シャスタ』を主宰。ヒーリング教室や瞑想教室を開講しています。北カリフォルニアのシャスタ山やエネルギーワークについて徒然に書いています。
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ギリシアの青い海と島 (絵4)
f0171365_22532877.jpg

「私、誰かと食事していると、其処にいる人達の考えが全部解ってしまうのよ。」
そう、ある女性の人が堰を切ったように、私達の前で話し出した。
私が、いつも参加している瞑想会に出席した時の事だった。

彼女はきっと、彼女の悩みを誰にも話せなくて、やっと自分の悩みを話せる場所が見つかったと思ったのだろう。そして、私達なら解ってくれると思ったのだろう。
私達の会に参加する為に、わざわざ遠いボストンから引っ越して来たのだそうだ。

彼女だけがそういう悩みを持っていた訳ではない。
その場にいた人達、全員が彼女と似たような経験をしていた。
映像が見えたり、声が聞こえたり、霊やオーラが見えるというような経験をしていた。
そして皆、誰にも相談出来ずに悩んでいた。


そうして、ある女性がお話をした。
彼女が経験した、遠い昔の過去世のお話だった。
彼女が、「皆さん。目をつぶって聞いてください。」と、言う。
そして彼女が話し出す。

昔、彼女が瞑想をしていた時、同じ映像が何回も頭の中に浮かんできたのだそうだ。
その映像は、小さな島の映像だった。
其処は、ギリシアの青い海に浮かぶ小さな島だった。
太陽がサンサンと輝き、自然の恵みを受けた綺麗な海と小さな島。
彼女は、その島の小高い山の上でたたずんで、ただ悲しんでいたという。

彼女は、その映像に何の意味があるのか解らなかった。
ただ彼女は、その映像を思い出すと涙がとめどなく流れてきたと言う。

そうしてある時、彼女に現実にその島に行ける機会が訪れてきた。
彼女は、何度も見たギリシア海に浮かぶ島の映像、その島に本当に行けることになった。
そして彼女は、映像の中で何度も見た小高い山の上に実際にたたずみ、瞑想をする。
その時、彼女の過去世の思い出が、この世に蘇ってきた。

彼女は、その島にあった小さな村に住んでいた。
彼女達は幸せな生活をしていたのだけれども、ある日、海賊の集団に襲われてしまった。
島のありとあらゆる海岸、岸壁から海賊達は上陸してくる。
生きる道は無いと思った村人達は、自決の道を決意する。
村人達が次々と死んでいく中、彼女と数人の友人達は小高い山の上へと逃げて行った。
そうして彼女達も、遂にはその山の上から身を投げて死んでいった。


胸が痛くなった。
彼女の話を聞いて、彼女が死んでいく映像が現実のように私の頭の中に蘇った。
話をしている彼女の目には涙は流れていなかった。
けれども、私の映像の中に見える彼女の目からは、とめどなく涙が流れていた。
彼女の死の瞬間。その時に彼女の目の中にに焼きついた風景、綺麗なギリシアの青い海、そして島の風景が私の頭の中に映し出される。
彼女は、その場所、その目の中に焼きついた風景の場所に、どうしても行かなければいけなかった。
その島の小高い山の上には、数百年の時を経てもなを、彼女の一部が座っていた。
彼女は其処へ行って、瞑想する事によって、失っていた自分を見つける事が出来たのだろう。
そうして彼女は、自分自身の心を深く知る事が出来、将来への可能性が見えるようになったのだ。

彼女はそれ以来、自分の過去世のエネジーを集めるために、瞑想の仲間達と一緒に旅行をするようになった。
そして彼女は、過去世で失われた自分のエネジーを集めて、自分自身の魂を高めるという目的の為に、旅行をするようになったのだそうだ。
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by rev-umachan | 2009-01-09 00:49 | | Trackback | Comments(0)
頭の中に浮かんでくる事柄 (絵2)
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頭の中を真っ白にして、ただ何も考えずに座っている時がよくある。そういう時、頭の中に昔の思いでが「ぽっ。」と、浮かんでくる。昔の記憶が、水の底から空気の泡が湧いてくるように浮かんでくるのだ。きっと、そういう事は誰にでもあるのだろう。

人間の頭脳は不思議なもので、何も考えていない時に昔の思い出や記憶を整理しようとするらしい。長い時間を経ると昔の感情が落ち着いてきて、記憶を冷静に見えるようになるというのが理由のようだ。
そんな風に何も考えないでいると、昔の記憶が映画のように蘇ってくる。遠い昔に自分が経験した事が、頭の中に鮮明に映し出される。

自分自身では何も考えていないとは思っていても、人間とは常に何かを思い浮かべているようで、そういう時、突然、昔の記憶が蘇る。

昔の記憶に出てくる自分自身の姿は、本当の自分とは少し違う姿をしていたりする。少し若かったり、痩せていたり、格好がよかったりする。
昔の記憶の中には、知っている人も出てくる。そして、彼らの姿も現実と少し違っていたりする。姿形が違う時もあれば、性格が異っている時もある。私の昔の記憶に出てくる人達は、本当の姿とは少し異なっている時が多いようだ。

私は、昔の記憶というのは、突然、何の関連も無く「ぽっ。」と、出てくるものでは無いと思っている。
きっとそういう時は、何か関連性のある事柄に携わっていたり、似たような事柄を思っていたりしている。だから昔の記憶が頭の中に出てくるのだ。

たとえば、人がある物事に対して思いをめぐらしている。その人はその物事を理解しようとするのだけれど、なかなか答えにたどり着けないでいる。その時、その人は、昔の記憶を覗き込み、理解するのに役立ちそうな情報を捜し出そうとする。それは意識して捜す時もあれば、意識してなくても「ぽっ。」っと頭の中に浮かんでくる時もある。

人は、自分の経験や記憶を、物事や人に当てはめて理解しようとする。自分の記憶バンクに無い「未知の事柄や生物」を理解するのが難しい。理解出来ない「未知の事柄」に出くわすと、無意識下で昔の記憶を引き出してきて、なんとか理解しようとする。



昔の記憶が一人歩きして、色々な記憶が浮かんできては、色々な「絵」を勝手に作り上げてしまうのはそういう時だ。
自分勝手な欲求や、希望が前面に出てきて、思い浮かべる相手の姿や性格が違って見えてきたりする。
自分の欲求や希望が、昔の記憶や相手の姿を変えてしまう。

昔の記憶の中に出てくる知人の姿を見るてみると、その人がとても良い人だったり、悪人のようにも見えてきたりする。

そういう昔の記憶が、自分の希望や欲求によって変化される。そして、当てにならない情報となって頭の中に浮かんでくる。「未知なる状況」や「想定外の状況」等に対して冷静な判断を下さなくてはならない時、そういう当てにならない情報が影響を及ぼしてくる。

当てにならない記憶が頭に浮かんでくると、冷静な判断を下す妨げとなってしまう。
そういう時、自分自身を見失わないで冷静な判断を下す為には、自分の欲求や希望、あるいは心の傷などを冷静に深く見つめて、必要の無い感情を捨てていく事が大切だ。
希望や欲求などの感情は、昔の記憶を変化させ判断を鈍らせる。
それだから、「自分自身を、どれだけ深く理解出来ているのか?」が、物事の本当の姿を見る時に重要になってくる。


自分自身に対して、どれだけ素直になれるのか?
自分の心の中をどれだけ理解してあげられるのか?
自分の心の痛みを、理解してあげられるのか?

そういった事が重要になってくる。


私は、私自身に対して素直になり、心の中の傷に正面から向かい会う事が出来るのだろうか?

心の傷に正面から向かう事は、痛みを伴う。
とても痛くて、向かい合う事が出来なくて、顔をそむけてしまうかもしれない。

顔を背けて、避けてしまうのは簡単な事だ。
だけどその避けるという行為は、「傷ついて、痛い記憶に何重にも蓋をしていく」という事を意味している。

そうやって避けている間にも、時間は刻々と過ぎてゆき、
やがては歳をとって、何も考えられなくなっていってしまう。
そうなったら、きっと、心の傷に向きあうどころではなくなってしまうのだろう。
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by rev-umachan | 2009-01-03 16:28 | | Trackback | Comments(0)