shastahealing.com  大阪と東京を拠点に『ヒーリング教室 シャスタ』を主宰。ヒーリング教室や瞑想教室を開講しています。北カリフォルニアのシャスタ山やエネルギーワークについて徒然に書いています。
by rev-umachan
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最後のセッションを23日の夜に終えて、24日に福岡航空から羽田に飛んだ。そして同日、栃木にいる母の処へ行った。
何時もながらのハードなスケジュールだ。博多へ行ったその一週間前にも「癒しフェアー」の為に博多入りしていたから、私の身体は思ってもいない程疲れていたのかもしれない。

母がこう言った。
「お前は、九州で一体何をしてきたんだね。光が全然通らないじゃないか。どれ手かざしでもしてあげようかね」
手かざしというのは、「ヒーリングみたいな、そんな簡単なものでは無い」と母は言うのだが、どう見てもヒーリングにしか見えない。彼女はその手かざしと言うのを、もうかれこれ30年程している。私はその手かざしというのが小さい頃、妙に胡散臭く思えて、出来るだけ避けていた。そんな私がいつの間にかヒーリングにどっぷりはまっているというのは不思議なもので、この親あってこの子の私が居ると言えるのだろうか。

小さい頃、あんなに嫌がっていた母の手かざしだったけれど、その時は力強く、適所を得ていた。やはり年の功というところなのだろう。
私には無い女性的な母親の心を感じた。
「ああ。この人には、いつまでも超えられない処があるんだなぁ」
そう思わないではいられない暖かな母の手かざしだった。

母は、昔から変わった能力を持っていて、スプーンを曲げたり、火の玉や魂を見たり、それに祖母の異変を瞬時に感じるテレパシーなどをする事が出来る人だった。

そんな能力を小さい頃から目の前で見せられていた私だったから、「母にはかなわない」という気持ちがあったのは確かだ。それでも、「母のような能力が自分にも出せるかもしれない」と思う気持ちも芽生えていたのだろうと思う。母の能力を見ていると、初めは不思議だと思っていた能力が不思議ではなくなり、日常生活の中であたりまえの事柄になっていった。しかし、母が見せてくれたスプーン曲げの能力は、未だに私には出来ない能力の一つで、何時までも越えられない母の大さを感じないではいられない。
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by rev-umachan | 2009-12-31 07:30 | 個人セッション(ストーリー) | Trackback | Comments(0)
ヒーラー
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「こちらの方は、ヒーラーのうまちゃんです」先日、そう紹介されてしまった。
「ああ、私はヒーラーなんだ」と、その時は思ったのだけれども、ヒーラーと呼ばれるのにはどうもしっくりしない。
かと言って、「ヒーラーではない」とも言えないし、自分自身をどういう肩書きにしたらいいのかに悩んでしまう。ヒーラーと言うと身体の調子の悪いところを治すイメージがあるのだけれど、私の場合は心の治癒を中心にしているものだから「スピリチュアル・カウンセラー」という肩書きの方がしっくりくるのかもしれない。しかしかと言って、身体の痛いところを治さないという訳では無いのだから説明するのに苦労する。

私のセッションを受けた人が友人に薦める時にも、説明に苦労すると言っていた。「唯、対面で椅子に座って話をするだけだよ」と説明するそうだ。確かに、それは嘘ではない。話をしながらエネルギーを動かしていくのだけれど、エネルギーが見える訳では無いので、話をしているだけとしか説明しようが無い。

殆どの場合、私はクライアントさんに触らない。もしくは、触るとしても軽く手を当てるだけだ。女性の身体を触るのに気を使うという理由もあるし、ヒーラーとしての枠を超えてしまい、マッサージあるいは整体の領域に踏み込んでしまうというのも、免許も勉強もろくにしていない私としては避けたいところなのだ。

それが、友人や知り合いがクライアントさんだったり、遊びでヒーリングをする時は別だ。気心も知っている相手だし、マッサージをするという相手の了解も得れる。いつもは押せないおしりのつぼ、足の付け根、脇の下の筋肉、それに首や腰の筋肉や軟骨をどんどん押したり引っ張ったり、肩や足を動かして筋肉の深いつぼを刺激出来る。

先日、そんな話をKさんに話したら、私のマッサージを受けてみたいと言う。見ると、彼はわき腹を痛そうに擦っているし、頭、首、腰も痛そうな感じだった。
早速、彼のお腹に手を当ててあげる。身体を引っくり返して次々に身体のつぼを刺激して、15分くらいで私のマッサージは終わった。すると彼はこう言った。


あれっ。もう手を離していたんですか。ずっと手を置いているのかと思いました。残像とでも言うのか、手を置いた感触がずっと残っていたんですよ。普通のマッサージじゃこんなに気分が良くならないもんなぁ。体重も5キロぐらい軽くなった気分だ。
それにあれ、お腹がもう痛くない。ムチ打ちで良く動かなかった首が、グルングルンと回る。痛かった腰もこんなに動く。フラフープが出来るくらいだ。
それに、あれっ。20年間変形して痛かった足の付け根が治ってる。
この足の付け根の事。言ってませんでしたよね。言ってもないのに治ってしまった。
5回とか回数をかけて治したらやっと治った。ありがたいって思うでしょ。それがでも、こんな5分、10分のマッサージで簡単に治ってしまったら、逆にありがたみが無いって言うか。そんな簡単に5分ぐらいで治るのに、20年以上も苦しんでいたなんて、私の人生は今まで一体何だったんだろう。と思ってしまう。複雑な気分です。


そんな彼のコメントを聞いて、私も複雑な気分になってしまった。こんな事していたら、「私はヒーラーです」とはますます言えなくなってしまう。しかし、「整体師です」とか「マッサージ師です」とかも言えないし、何という肩書きにするのかまた悩んでしまう。
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by rev-umachan | 2009-12-30 15:19 | 個人セッション(ストーリー) | Trackback | Comments(0)
人を動かすもの
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「感動が人を動かすんだよ」
山鹿という所で個人セッションや瞑想会をして博多へと帰る車の中、マネージャーをしてくださったIさんが私にそう言った。時間は既に深夜近くになっていた。朝早くから深夜近くまでセッションや講習に参加してくださった方々、そして朝早くからお付き合いしていただいたIさんには本当に感謝している。

何の因果か、ちょっと寄ってみただけの博多の街で、あれよあれよと言う間に知り合いが増えていった。
誰も私のセッションを受けた事が無いというのに、セッションの内容も、料金でさえ知らないと言うのに、それでもセッションを受けたいという人が4人もいてくださった。それがあっと言う間に口コミで広がって3日間で合計7名のセッションをさせていただいた。帰るぎりぎりまでセッションをして、新幹線に飛び乗って亀岡に帰ったのがたった一ヶ月前の事だ。
そして2週間後には、博多の「癒しフェアー」に出展させていただき、10人くらいの人達の短いワークをさせていただいた。見ず知らずの私のブースに飛び込んでワークを受けてくださった方々に感謝しないではいられない。ワークの後の皆の幸せそうな顔を見て「身体も心も軽い。ずっと痛かった腕が、肩がもう痛くない。しあわせ~」などという声を聞くと、「やって良かった」と思う。
その一週間後、また博多へ行った。一ヶ月に3回の博多への旅となった。
前回私のワークを受けられなかった人達が私を待っていてくださった。5日間という短い時間にも関わらず、多くの人達と知り合いになれ、合計11人のワークと瞑想会をさせていただき、この一ヶ月では博多の地で合計30人程の人達のワークをさせていただいた事になる。博多という街に強い縁を感じないではいられない。

「私はあのセッションの前と後では明らかに違う。あのセッションを境に私の人生は変わった」
そう言ってくださった人もいた。
「私はこのセッションで本当の自分が解った」と感動してくださった方もいた。
博多では、多くの人達の感動の涙を見させていただいた。
私にしてみれば、「これでよかったのだろうか。こうした方が良かったのでは」と思い、反省する事ばかりなのだけれど、多くの人達が流す涙を見させていただくと、「私はもうこの道を辞める訳にはいかない。私の方こそ精進しなければ」と私の方が勉強させていただいていると実感させられる。
多くの人達に出会えた事。感謝です。皆さまの善意にありがとう。
良い年をお迎えくささい。
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by rev-umachan | 2009-12-29 18:04 | 個人セッション(ストーリー) | Trackback | Comments(0)