shastahealing.com  大阪と東京を拠点に『ヒーリング教室 シャスタ』を主宰。ヒーリング教室や瞑想教室を開講しています。北カリフォルニアのシャスタ山やエネルギーワークについて徒然に書いています。
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岡山
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2度目の岡山だった。
1度目は去年の5月、友人のとらさんのお墓参りのために行った。
とらさん本人には直接会った事がなくて、ネットでメッセージのやり取りをする間柄だった。それでも一度だけ電話で話した事があった。
「今度は絶対に岡山に会いに来てくださいよ」
と、そう言った彼の言葉が今でも頭の中に残っている。
それが、まさか彼が亡くなってから会いに行く事になるとは思わなかった。私より一回りも若いのに、そんな若さで亡くなってしまうなんて信じられなかった。

そんな彼のお墓は、岡山の実家近くにある小さな山の上にあった。
そこへ行った時、お墓でぼ~っとしながら、近くのベンチに座ってお弁当を食べた。
そして何故だか、そこの近くにある小高い山。その頂上にある龍之口八幡神社に行きたくなって、山を登った。そこの山道を歩くのは結構大変で、太陽が照りつける初夏の暑い山の中を3時間以上歩いた。

あまり人が歩いていない山を、「彼も、小さい頃からこの道を歩いたんだろうなぁ」などと思いながら歩いた。
緑の木々の中を歩いていると、彼の小さい頃の思い出が蘇ってくるような気がして、小さい頃の彼の姿が見えるような気がした。

頂上には小さな見晴台があって、そこに寝っころがって、岡山市の上を流れる雲を眺めた。「彼もここで雲が流れるのを見ていたんだろうか」などと思った。
岡山にまで来て、思いつきで山に登って龍之口神社まで行ってしまい、山の上に寝転がって、流れる雲を眺めながら、会った事もない人の事を思うというのは、いったい何だったんだろうね。

そんな岡山で先週、博多から新大阪に帰る途中、1時間ほど途中下車して友人に会った。その会った場所が、以前行った龍之口八幡神社の近く、とらさんのお墓がある近くのファミレスだった。
そう言えば、もうすぐまた彼の命日がやってくる。
そんな岡山へ、今週末にまた行く事になった。何の因果なのか、彼に呼ばれて岡山へ行くのか、不思議な感じがする。
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by rev-umachan | 2010-02-26 01:28 | 日常の情報 | Trackback | Comments(0)
軸足
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関西という場所に住むのは生まれて初めての経験で、どうもフワフワとして落ち着きが無い感じがする。土地勘というのも無くて、友人の車に乗せてもらっていると、いったい何処を走っているのか検討もつかない事が多い。車の後部座席に乗せてもらっていると、自分がまるで唯の空気になったような錯覚さえ覚える。

「今、何処を走っていて、何処に居るんだろう。此処は何処なんだろう。自分は誰なんだろう」などという思いが頭の中を駆け巡る。自己存在理由が不明確で、不確かになる。まるで自分の身体が空気の中に溶け込んでしまうような感覚だ。

初めての場所。初めての人達。初めての街。
雑踏の中を歩くと、自分が其処にいる人々、空気の中に溶け込んでいないのに気づく。そんな時、「私はまだまだ日本人じゃないんだ」と実感させられる。
周りの人達とは服装が違う。話す言葉も関西弁じゃないし、少し変なイントネーションの日本語を話している。でもそれは仕方が無い事だ。何年間も日本語環境の中に居なかったし、使っていたコンピューターも英語環境だった。手で日本語を書く事も無かった。

でも、そんな事は解っていた事だ。全て承知して日本に帰って来たはずだった。私が日本に住むというのが難しいだろうというのは解っていた事だ。それでも、私が習って来た事。勉強してきた事は絶対に日本の役に立つ。日本人の為になると信じて日本に帰ってきた。

「いったい、私の信じている事柄は日本で受け入れられるのだろうか。日本では、そのままの形では受け入れられないのではないだろうか」
そういう不安はあるし、そう思うのも当然なのだろう。自分の軸足がぶれて、「日本でも通用すると思うのは自分の思い込みじゃないんだろうか」と思う時がある。
それでも自分なりに日本に合う形を模索して、少しずつやり方を変えていって、自分なりの形を作り出していく。

「私も長い間、沢山のワーク、色々なワークを受けてきたけれどね。うまちゃんのセッションが今までで一番良かったよ」と言ってくれた人がいた。
「うまちゃんのセッションは、本当に良かった。自分というのが良く解った」と言ってくださる人もいた。そうして、少しずつセッションを受けた人が友人を紹介してくれるようになっていった。

「日本でも、私のワークは受け入れられる」という感触を九州でのセッションで得た。もちろん、私がしている全ての事柄が受け入れられてるとは思わないし、そういう意味では自分なりの形を作るという行為は続けなくてはいけないと思う。でも、「アメリカで私がしていたワークは、日本でも絶対に受け入れられる」という思いは間違っていなかったと実感した。

「アメリカに行かないで日本で働いていれば、今頃は家の一軒も建ってたかもしれないね」そう母が言った。その言葉を20年来の友人のNさんに話した時、彼がこう言った。
「一軒の家のために間違った道に行ってしまった人も多いことを考えると、少なくとも僕が見る限り、ウマくんは間違った道には行っていないのだから、自信を持ってもいいのではないかなと思ったよ」

軸足がぶれていると感じる時には、今までの過去を振り返る余裕がなくなる。私をずっと見てきてくれた人が近くにいて、言葉をかけてくれ、進む方向を示唆してくれるというのはありがたい。
日本での人との繋がりというのは優しくて暖かい。それは、アメリカにいる時にはあまり感じる事が出来なかった暖かさだ。その暖かさを感じる瞬間、私の心は温かくなる。そんな時、日本に帰ってきてよかったと心から思う。
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by rev-umachan | 2010-02-25 00:24 | 日常の情報 | Trackback | Comments(0)
Nさん
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「日本に住むなら、日本人にならなあかんねん。
海外に住んでたら、その住んでた時間の3倍の時間が調整に必要になるんや。
僕もサンフランシスコに3年すんでたから、3倍の10年かかった。何やかんやと寄り道して、10年かかったんや。うま君は20年住んでたから、3倍の60年や。もう日本人になるの無理なんとちゃうか」そう友人のNさんが言った。

彼とは20年前に私がアメリカに行った時からの付き合いで、同じようなデザイナーという仕事をしているせいか、私の事を本当の意味で理解してくれる数少ない友人であってアドバイザーだ。他の誰にも持っていない考え方や生き方はユニークで、アメリカに来てからの私の人生に大きな影響を与えてくれた。歳が一回りも上なせいか経験や知識も豊富で、色々な相談に乗ってくれた。

仕事で行き詰った時。進路を選択するのに迷った時。結婚を考えた時。そして父が倒れた時。私が困った時、不思議と彼が傍にいた。
父が倒れた時、私はハワイの大学に行っていた。その時、偶然にも彼が出張でハワイにきていた。父が倒れたと連絡があった同じ日の晩に、彼と会う約束があったのは偶然とは思えなかった。誰にも話す事がないだろうと思った家族の問題や父への想い、そんな事を話す相手が目の前にいた。これはそういう縁なんだろうと思い、腹を括って彼に全てを打ち明けた。

アメリカでは小さい事務所で一緒に働いた仲だったけれど、日本の一流企業で働いていた彼は、日本に帰ってから大きなプロジェクトを色々と立ち上げては成功していった。それでも彼は驕るような処は無くて、彼の成し遂げた色々なプロジェクトを子供のように喜んで説明してくれた。

彼の言葉は、色々な時や場面で私の心に響いては深く残っていった。そんな彼だったけれど、私にアドバイスを尋ねる時も良くあった。「うま君、これどう思う?これはこうなんとちゃうかなぁ?」などと聞いてくる時は、私の意見を尊重して聞く時だった。そしてそういう風に聞かれる時は、必ず面白いアイデアが出てくるものだった。

彼とはタイプや考え方が違うから、これまで上手く付き合える事が出来たのだろうと思う。二人の考え方は解り合える処がありながら、全く違っていた。大雑把で大らかで、細かい事にあまりこだわらなくて全体的に物を見る彼。そして細かい事が好きで、小さい事柄から大きな物を作り上げていく私。そんな異なった物の見方をしていた二人だったから、お互いの意見を新鮮に思えて尊重していたのかもしれない。

そんな彼が言った「日本人になるのは無理なんとちゃうか?」という言葉は深みを増して私の心に残った。15年も前に日本に帰ってきて、一人でデザイン事務所を立ち上げて成功した彼だ。アメリカ的な感覚を持つ彼が、仕事上での人間関係の問題などを幾つも経験してきたのは容易に想像出来た。彼が口にした言葉の奥に、厳しさと、彼なりの優しさを感じ取った。
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by rev-umachan | 2010-02-17 22:39 | 日常の情報 | Trackback | Comments(0)
パンドラの箱:
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ギリシア神話に出てくる黄金の箱。その中には、病気、盗み、ねたみ、憎しみ、悪だくみなど、この世のあらゆる悪がはいっていた。プロメテウスは、それらが人間の世の中にはびこらないよう、箱の中に閉じ込めておいた。しかし、パンドラがその箱を開けた為、箱の中からは病気や憎しみ、盗みや怒り、嘘や疑いなどのあらゆる悪が、人間の世界に飛びちった。そして全てが出て行ってしまった最後に残っていたのが、希望だった。こうして人間たちには、どんなひどい目にあっても、希望だけが残されるようになった。


「私、自分の性格を変えたい。
嫌味で、心が狭くて、人に冷たくて、嫌な言葉が思わず口から出てしまう。
もう、そんな性格に疲れました。自分の性格を変えたい。広くて大きな心を持ちたい」
久しぶりに会った友人がそう言った。
「私は彼方の性格を変える事は出来ませんよ。でも、彼方が変えると決心すれば、私はそのきっかけを与えられるかも知れません」
そう言うと彼女は、「もう決心しました。自分の性格を変えます」と言った。
「それじゃ、彼方をそうさせている原因を見つけに行きましょう」
私はそう言うと、彼女と一緒に心の深い処、深淵に潜っていった。

彼女の心の奥底には、黒い幾つかの塊が隅の方に押し込まれていた。その黒い塊を一つずつ開けていって、光りの当たる場所へと引き出していく。小さい頃の思い出、家族との思いで、前世の思い。そんな色々な思い出が、光りの中へと導かれていく。

それはまるで、パンドラの箱から飛び出ししていく魑魅魍魎、悪霊達のようだった。心の中に押し込まれていた思い出達が、光りの中へと飛び出していく。そして心と身体がどんどんと軽くなっていく。

もうそうなると後戻りは出来ない。彼女は軽くなった心を認識しないではいられなくなった。
「私、今まで何でこんな事で悩んでいたのかしら。心がおおらかになって、優しい気分になってきている。あれ、何で涙が流れてくるのかしら」そう言う彼女の頬から一筋、涙が流れてきた。
「何で涙が流れてくるのか、理由が解らない。でも、涙が流れてくる。」
その涙は、彼女が心の中に最後に残っていた希望を感じて、嬉しくて流した涙だったのかもしれない。
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by rev-umachan | 2010-02-03 20:58 | 個人セッション(ストーリー) | Trackback | Comments(0)
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三日ぶりに博多から亀岡に帰ってくると、暗い夜空からぽつりぽつりと雨が降ってきていた。この雨は、全ての思いや記憶を消し去って、近くを流れる保津川に雨水と一緒に押し流してしまうようだ。

この街に帰ってくるたび、「私はここの住人なんだろうか?この街の何処に住んでいたんだろう?」などと思ってしまう。
たった三日間留守にしただけなのに、この街は私が住んでいたという記憶を消し去ってしまう。街中に毎朝立ち込める霧。その白い霧が、まるで消しゴムのように、全ての記憶を綺麗に消し去ってしまう。
この街に帰ってくる度、そんな感覚を感じてしまう。

縁もゆかりも無いこの地に住んでいるのは、遠い昔、この地に住んでいたという記憶が何処かにあったからなのかもしれない。しかし、そんな遠い昔の記憶でさえ、真っ白な霧の影に隠されてしまっていて、日の当たる表には出てこれないでいる。

元出雲神社がある亀岡から、清和神社が途中にある明智越え。そしてその向う先には京都。そのルートは、その昔、明智光秀が京都の本能寺を攻めた時に使った道の一つだった。彼は亀岡に住み、私と同じように白い霧に包まれていて、いつ動こうかと機を狙っていた。

そして私も、いつかはこの亀岡から動かなくてはいけないと思っていた。この街にマンションを借りているとは言え、カリフォルニアと亀岡の間を行ったりきたりで、ここにはほとんど住んでなかった。毎朝、街にたちこめる白い霧は、他から来る人を跳ね返すような魔力を持っているのかもしれない。
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by rev-umachan | 2010-02-02 23:51 | 日常の情報 | Trackback | Comments(0)