種と芽 (絵6)
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植物の芽は、地中にある種から生まれてくる。
種が無い地面の中からは、芽は生まれてこない。

当たり前の事だが、植物は種があって、そこで初めて芽が地上に出てくる。
しかし、地中にある種は、地表からは見る事が出来ない。
目えるのは、地表に出てきた芽だけだ。


植物の種と芽の関係と同じ様に、物事とは、何も無いところから発生したりはしない。
何か原因となる事があり、そこで初めて物事が発生する。
植物が育つのと同じように、物事とは、原因となる種があって初めて芽が生まれて出てくる。そしてやがて大きく育ち、良い結果、あるいは悪い結果とそれぞれの実を結ぶ。
その時、目えるのは結果となる大きく育った芽であり実だ。しかし、原因である種は見えにくい。

原因である種とは、すでに過去に起きてしまった事柄だ。
だから、消してしまう事は出来ない。
種は、表面には出てこなくて見えないかも知れない。しかし種がある限り、結果となる芽は、必ず地表の上に出てくる。

もし芽が大きく育った時、悪い結果を生むと解っていれば、芽が出ないで欲しいと思うのは当然の事なのかも知れない。
しかし原因となる種がある限り、結果となる芽は生まれてくる。
私は、その芽が大きく育ち、やがて大きな悲劇を生むのを、ただじっと見ている事しか出来ないのだろうか。

「芽が大きくなって育つ前につまんでしまう」という事が出きると聞いた。
地表に生えてきた芽が、大きく育って悲劇となる前に、つまんで取って捨ててしまうというのだ。

たとえば、悲劇が起きそうな人間関係を、事前に予知する。
そうして、その人間関係をすみやかに解消してしまう。
恋人や友人なら、すみやかにその交友関係を解消するというような事なのだろう。

しかし人間関係を解消しても、全ての問題が解消した訳ではない。
「芽」をつまんで取ってしまっても、「種」は地面の中に残っている。
「種」がある限り、「芽」は次々と地面の上に出てくる。

嫌いな人と人間関係を解消したと思ったのに、再び出会ってしまう。
嫌な物事には、何故か次々と出会ってしまう。
そのような現象が起きてきてしまうのは、原因となる種があるからなのだろう。

地表に出てくる「芽」を、次々とつまんで取って捨てていく。その行為を繰り返す。
そして、自分の身に悲劇が降りかからないようにしてゆく。
それはまるで、本来、種と芽の因果関係の間に居るべき自分を、その関係の外に出してしまうかのようだ。そして自分自身を、映画を見るように遠巻きに物事を見る状態にさせてゆく。
しかしそれでは、根本的な問題解決にはならない。複雑に絡み合った種と芽の因果関係を解決する、という事にはならない。
だけれども、この方法はこれで、悲劇から自分の身を避ける一つの方法なのだろう。


原因となる種がある限り、結果である芽は必ず生まれてくる。
その芽は、輪廻転生をして次の生に変わったとしても、必ず生まれてくる。

生を繰り返す度に、結果である芽は何度でも生まれてくる。
そして人は、生を繰り返す度に悲劇を繰り返す。
そういう現象を、「カルマの中に閉じ込められる」と言う。

何度も何度も、原因も解らずに同じ過ちを繰り返してしまう。それはまるで、結果である芽のみを見て、原因である種を見ていないかのようだ。
もし、原因となる種をよく見て分析する事が出来たら。そして、そこから生えてくる芽に正面から向き合える事が出来たら・・・。

過去に起きてしまった事は仕方がない。
もう既に起きてしまった事は、変える事が出来ない。
しかし、これから起きる事は変える事が出きるはずだ。

原因である種を、正面から見つめて解決してゆく。
そして、これから将来に起きる事を変えてゆく。

それは、痛みを伴う事なのかも知れない。
悲しくて、涙がとめどなく流れてくるような時もあるのだろう。
自分自身へのプレッシャーで、押しつぶされそうになる時もあるだろう。
むしろ、死んでしまった方が楽だと思うような、苦しい事に出会う時もあるかも知れない。

それでも、そうしなければ物事は解決しない。
そうしなければ、私は前に進む事が出来ないという気がする。
今は、この試練が私自身を鍛えてくれるのだと、唯、自分を信じて前に進むしかない。
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by rev-umachan | 2009-03-04 16:02 |
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