マヤ・リン
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マヤ・リンというアメリカの建築家の軌跡を、数年間に渡って撮影したドキュメンタリー映画を観た。マヤは、建築家でありながら人の生や死について思慮が深く、映画を観る人の心を打たずにはいられない。

彼女を一躍有名にしたのは、ワシントンDCにあるベトナム戦没者の為のメモリアル(記念碑)のデザインだった。

57,661人という多くの戦没者を出したベトナム戦争は、1975年に終わった。それから5年という長い時間を経てアメリカ政府はベトナム戦没者の為のメモリアルを製作する事にした。カーター大統領が書類にサインをしてメモリアル製作プロジェクトが開始した。そして、メモリアルのデザインは一般公募となり、1441名という全米中の有名、無名のデザイナー達がデザインを応募した。その途方も無い競争率の中から唯一つ選ばれた作品が、マヤ・リンのデザインだった。彼女はその当時、20歳という若さで、まだエール大学で建築を勉強していた学生だった。

彼女は、パステルで描いた淡いスケッチを応募した。しかし彼女はスケッチだけでなく、そのメモリアル製作コンセプトをエッセイとして表現して同封した。そのエッセイは、聞く人の心を動かし、感動せずにはいられない。


「メモリアルの目的を考えた時、それは個人的なものであって、政治的なものであってはならない。死は個々の問題であって、メモリアルは静かに死を受け入れられるような静かな場所になくてはならない。
メモリアルは、そこを訪れる人に悲しみや苦しみを与えるのが目的ではない。
そこを訪れる人に、胸に抱いていた痛みや悲しみを、死を受け入れさせる事によって過去の出来事と認識させ、未来への希望と生きる力を与えさせるのが目的なのだ。」


マヤが書いたエッセイは20歳の学生が書いた物とは思えないほど深い思慮があり、多くの人達の心を動かした。
しかし、彼女が若いアジア人だったという事が、退役軍人達の反感を買う事になってしまった。ベトナム戦争で命を亡くしていった人達の多くはアジア人であるベトナム人に殺されていたから、すんなり受け入れられなかったという理由もあった。それに反戦の気運が高かったその頃は、退役軍人達の多くがアメリカ社会では歓迎されていなかった。ある軍人は、戦争から帰ってきて空港で受け取ったのは、紙袋に入った糞だったと言っていた。そんな時勢だったから、メモリアルの製作決定するのにも時間がかかった。
行き場の無い退役軍人達の怒りは、歳若いアジア人のマヤに向けられてしまい、彼女のデザインもすんなりとは受け入れられない。彼らはデザインの変更を要求するが、マヤは頑として自分のデザインの変更を承諾しない。その時のマヤの話す言葉は、力づよく聞く者を感動させる。


「私達の命、時間には限りがあるが、私達の創造した建造物や文章は永遠で、未来の世代へと受け継がれる。そういう私達の創造物を通して、私達は時を越えて未来の人達とコミュニケーション(会話)をする事が出来、彼らに新しい創造を起こさせるのだ。」



(DVDの情報)
Maya Lin - A Strong Clear Vision (1995)
Starring: Maya Lin Director: Freida Lee Mock
http://www.amazon.com/Maya-Lin-Strong-Clear-Vision/dp/B00008PHD1

(ベトナム・メモリアルの情報)
The Vietnam Veterans Memorial Wall
http://www.thewall-usa.com/
http://www.thewall-usa.com/wallpics/dadsgirl.htm


(イラストは上記のページからです)
(Photos are Protected under US and International Copyright Laws Some are Copyrighted by The Vietnam Veterans Memorial Wall Page others are copyrighted by their respective owners.)
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by rev-umachan | 2009-04-01 09:25 | 日常の情報 | Trackback | Comments(0)
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