粉河
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「和歌山で地震があるかもしれない・・。そしてもし地震が起きたら、日本は壊滅するかもしれない。」
去年の秋、友人のHから受け取ったメールには、そう書いてあった。
和歌山は行った事も無い場所だったけれど、彼が私に投げかけてきた言葉は、「和歌山に行かなければ・・」という気持ちこさせた。そしてそのメールには、「紀ノ川」という川の名も書いてあった。

紀ノ川というのが何だか良く解らない。ネットで調べてみると、それは奈良から和歌山県を通って瀬戸内海まで流れる大きくて長い河の事だった。その河は和歌山の北、高野山のふもとから、南の和歌山市まで流れていた。

そしてその紀ノ川に沿うように大きな断層、「中央構造線」があるのも解った。葛城山脈と紀ノ川のちょうど中間を、南北へ流れている断層、「中央構造線」。その断層は奈良県の葛城山のあたりから始まり、瀬戸内海の海底を越えて、なんと徳島県まで繋がっていた。友人はそこに地震が起きる可能性を危惧していたのだった。ネットで調べてみると、確かに「中央構造線」に地震が起きる可能性を言っている何人かの専門家達もいるようだった。

そのメールを受け取ってからしばらくしてから、
「徳島県の天津神社でお祈りしていた時、あなたの事を想いました・・。中大兄皇子という名も想いました。」
というメールを頂いた。そのメールはたった数行だった。恐らく彼は、天津神社で聞いた言葉をそのまま、山の上の神社から徳島に戻ってきてからすぐに、携帯から送ってきたのだろう。
彼に深い意味を聞こうにも、はるかかなたの海の向こう、地球の反対側にいるのではそれもままならない。
彼は中央構造線の流れている徳島からメールを送ってきた。そして私に何かを伝えようとメールしてきた。その事に、私は何か深い意味を感じていた。
メールに書いてあった中大兄皇子(後の天智天皇)と言う人も、実は中央構造線の始まる葛城山界隈に住んでいた豪族、葛城一族の一人で、幼少の名はまさに葛城の皇子と言って、彼も深く中央構造線に縁のある人だった。
私は日本に帰る事にした。行って、日本、和歌山、そして中央構造線に何が起きているのかを確かめたかった。

そうして私は昨年の11月に、和歌山県の紀ノ川沿いにある粉河、粉河寺という処へ行った。此処も中央構造線が流れている真上だった。これが私の初めての和歌山県入りとなった。
和歌山の地で初めて降りた場所は粉河となったが、その意味はその時は解らなかった。それが後になって大きな意味を持ってくるという事は、その時は解らなかった。
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by rev-umachan | 2009-08-15 11:34 | 自然 | Trackback | Comments(0)
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