絵を見る時 (絵1)
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絵を見る時、人は幾つかのプロセスを経て、「頭の中で絵を理解する。」という行為へとたどり着く。
絵は、絵の具の特性、ある特定の光りの周波数を反射するという特性を利用して、複雑に絡み合った色々な光りの周波数、色のシンフォニーを放射する。
そして色となった光は、人の目の中に入り、目の内側にある網膜を刺激する。そしてその刺激は、複雑な電気信号へと変化し、神経細胞を経て脳へと伝わる。

脳へと伝わった電気信号は、脳の中で現実にある絵を再現する。人は、その再現された絵を見て、分析し、理解しようとする。
その時、人は絵から得た情報と、自分が過去に経験した事柄を、照らし合わせようとする。過去の経験を通して、絵を見ようとする。
そうしてやっと人は、絵を理解する事が出来るのだ。

だから、人は絵を見ていながら、実は自分の経験した事柄を見ているとも言える。

人間は、自分の経験した事柄しか理解できない。
もちろん、テレビや映画を見たり、本などを読んで、それらから疑似体験する事は出来る。
しかしそれらの疑似体験も、ある程度の経験がなければ理解出来ないし、経験の度合いによっては疑似体験の理解度も限られてきたりする。

初対面の人に会って、話をする時の事を思い浮かべてみよう。
その人と何となく気が合わなかったりする。そうして、その人と話をしたくないという気持ちが出てくるとする。たいていの場合、その人とはそれっきりで、話をするのを避けるようになる。

その時、人は「気が合わない人」を見ながら、実は自分の経験した事柄を思い出しているのだ。
その経験は、心に大きな傷をつけるような、思い出そうとするだけで嫌な経験なのかもしれない。そういう場合、その思い出に蓋をして、思い出そうとしなくなる。

気が合わない人と話すだけで、昔の、痛い記憶が込み上げてくる。
だから、その人との間に壁を作り、避けようとする。

どうしても、その相手と話をしなければいけない時は、その人の話を聞くだけで、訳も解らずに怒り出したりする。
「この人はわざと、私が頭にくるような事を言っているのだ。」とも思えてくる。


その時に感じる、怒りという行為。それを分析してみる。
怒っている相手は、「気に食わない人」なのだが、よくよく考えてみよう。
何故、その人に対して怒っているのだろうか?

その「怒る相手の人」を見ている自分がいる。そして、その人を理解するために、過去の経験から記憶を引き出そうとしている自分がいる。何故そうしているかと言えば、その人を理解するためには、自分の経験を照らしあわせなければ理解出来ないからだ。

相手を理解しようとする時、自分が思い出したくない記憶が蘇ってくる。だからその人を見ると、自分の心が痛くなってくる。

その時、怒りという感情が前面に出るのは、一時的ではあるが、怒りによって痛みを忘れる事が出来るからだ。そして、痛みを感じる前に、その痛みの元凶である記憶の上に蓋をしてしまう事が出来るからだ。
だから、「気が合わない人」に出会うと、怒り出してしまう。

そうやって人は、痛い記憶の上に蓋をしてゆく。
しかしそういう、「痛い記憶の上に蓋をする人」に限って、「気の合わない人」に多く会うようになっている。そうして、何度も怒ってしまう。
怒りという感情を前面に出して、自分の記憶の上に蓋をしてしまう人は、遂には、「何重にも蓋の上に蓋をしていくという行為」をしないと、気がすまなくなってくる。

「気が合わない人」に会うと、怒って、記憶の上に何重にも蓋をしていく。そうしているうちに、何度も何度も怒るようになってくる。
そして遂には、自分がいったい何に対して怒っているのかが解らなくなってゆく。
「自分の心の痛みを感じないで済む。」という理由の為だけに、怒りという感情を前面に出すようになってしまう。

「歳をとると怒りっぽくなって、忘れっぽくなる。」というのは、そういう「痛い記憶に何重にも蓋をする行為」のせいなのかもしれない。
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by rev-umachan | 2008-12-25 15:48 | | Trackback | Comments(0)
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