カテゴリ:チベット仏教( 2 )
ダライラマ法王大阪講演
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先日、ダライラマ法王の大阪講演に行ってきました。
6年程前の宮島での勧請会で初めて法王のお話をお聞きして、
あれから数えてもう何度目になるのだろう。

今まで、宮島、東京、サンフランシスコ、バークレー、ロスアンジェルス、大阪、
そしてまた今回の大阪での講演と行ってきました。
いつも、今まで経験した事や勉強、そして瞑想の成果が法王さまのオーラの中に光り輝いて
会場全体を照らし出しているのを感じます。
何度聞いても、法王さまの話には惹きこまれます。

今回の講演は、今までの一般向けの講演とは違い、
「般若心経」についての深いお話でした。
今までのお話は一般向けに仏教についての入門的なお話、
そして普段の生活に使えそうな比喩などが中心だったのですが、
今回は心についての深いお話でした。

時には、仏教についての深い知識が必要とされる内容ではあったのですが、
無くても十分に意図は理解できる内容でした。
会場の中では、あまりの気持ち良ささにうとうととする姿もちらほらと見かけました。
僕も昔は法王さまのお話を聞いて、そんな風にうとうとしていたのを思い出して笑ってしまいます。

真綿の布団に包まれるような、そんな気持ちの良い講話でした。
この後は、高野山での講話、そしてその後は東北に行ってお話をなさるそうです。
高齢にもかかわらず、忙しいスケジュールをこなしている法王さまに感謝です。
もっと長生きして、世界を幸せに導く活動をなされてくださればと思います。
ありがとうございました。
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by rev-umachan | 2011-11-02 15:36 | チベット仏教
人は何処から来て何処に行くのか?
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私というものを定義しようとする時、
それはとても難しい事に気が付く。

指を自分の胸にさして、
「これは、私だ」
と言っても、それは正確には、
私の胸をさしていて、
本当の私をさしていない。 

鼻をさして、
「これは、私だ」
と言っても、それも鼻をさしていて、
本当の私ではない。

本当の私とは、いったい何なのだろう。

私とは形の無い、説明のつかないもので、
形の無いものを説明するのは、
とても難しい。

しかし私がいるから、
私の身体も存在する。
私というものは、
確実に存在する。


「これは、私の身体だ」
と言って、自分の身体を説明するのは簡単だ。
身体は物質的な形を持っていて、
説明しやすいからだ。

人間は、私という形の無いものと、
身体という物質的に形を持つもの、
その二つのものから出来ている。


それを宇宙に置き換えてみる。
137億年前にビッグバンという爆発から始まった宇宙。
宇宙は、星や惑星、そして真空の空間など
物質的に形をもっている。
それは人間でいうと、身体になるのだろう。

そして、形は無いけれど、
ビッグバンの以前に、
宇宙を創ろうと決めた意志、
人間でいう私という存在がある。

それは宇宙の意志、
宇宙の魂といえるもので、
神といえる存在なのかもしれない。

その神といえる存在が、
宇宙を創って、
地球を創って、
人間の身体を創った。

その神が別れて、別れて、
小さくなって、
人間の身体の中に入って、
私という存在になった。

だから、私とは、
神の一部であって、
神そのものなんだ。

神から来たものは、
神に帰っていく。

私という存在は、
身体が滅びて死んだ後に、
宇宙の意識がある処に、
帰っていく。


私を生かせてくれた身体、
この地球上の物質的な全てのもの、
そして宇宙の全てに、
「ありがとう」
と言いたい。
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by rev-umachan | 2011-03-18 23:52 | チベット仏教