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心の綺麗なお婆さん2
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Tさんの言葉は考えさせられる事柄で、『何のために子どもの発達の問題に取り掛かっているのか?』という目的意識そのものを問いかける内容だった。
『心の純粋さ』あるいは『魂の純粋さ』と呼べるものというのは、人間の持つ究極のテーマなのかも知れない。

「子どもの心は純粋だ」と言うのは、子どもは大人と違って俗な問題や魂が汚れるような経験をしていないからだ。それと同じように、社会的経験の少ないお婆さんの心は、子どものように純粋なのだろう。
それがもしお婆さんの社会的適応性が高く、人間社会でもまれるようになったら、今のような心の純粋さを保ち続ける事が出来たかは疑問だ。

子どもというのは人間社会の中で成長していく課程で、心の中に残酷な部分を育てていく。小学校中学年くらいになると子ども達は人との距離を置いたり縮めたりして、無意識に人との差別化を持ち、自分は何なのかというアイデンティティを持とうとする。幾つかのグループを作ったりして、グループあるいは社会への既存意識を持って安心しようとする。
そして自分達と異なる価値観や姿形を持つ者の排除の気持ちを持つようになり、いじめとなって表面化してくる。

「いじめが学校内で起きたら問題になる」という事を子ども達は知っているので、知的発達障がいの子どもへのあからさまないじめは無いかも知れない。しかし、そういう子ども達は空気のように無視されたり、ボール遊びをする時も仲間に入れてくれない等と水面下でのいじめとなって表れると聞く。

Tさんの知り合いのお婆さんも、小さい頃、そんないじめを経験したのかも知れない。きっと人間関係の汚れた部分を経験したから、ごみ屋敷の中で一人で暮らしていたのかも知れない。汚れた部分は出来るだけ何も経験しないで、社会との関係を切って、自分ひとりだけの世界で静かに過ごす。お婆さんの純粋な心はそうやって保ってきたのだろう。


頭の回転が遅いから、言葉を喋るのが下手だから、身体を動かすのが鈍いからなど、そういった理由でいじめにあうのだとしたら、僕のしている「発達を持つ子ども達への取り組み」は、何らかの解決への糸口となるのでは無いだろうか。
子どもの発達の問題が少しでも改善していったら、いじめは少なくなる。そしてその子ども達は社会への適応性を高めていって、自分で考えて選んで行動していくようになる。

そう信じているのだけれど、現実の人間社会の複雑な構図はなかなかそう簡単ではないようだ。子どもの発達問題が改善したとしても、そういう子どもへに対しての社会の認識は改善しないからだ。

子どもの改善のスピードに、社会認識のスピードが追いついていかない。
「自分達と異なる価値観や姿形を持つ者の排除の気持ち」というのは、思ったより改善するのに時間がかかるのを感じる。
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by rev-umachan | 2012-04-18 16:41 | アルジャーノン プロジェクト | Trackback | Comments(0)
心の綺麗なお婆さん1
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「今までこんなに心の綺麗な人に会ったことが無かった」
友人のTさんが最近会ったというお婆さんの話をしてくれた。そのお婆さんの心はとても綺麗で、Tさんはその心の純粋さに胸を打たれたそうだ。

そのお婆さんが住んでいた家はとても散らかっていた。俗に言うごみ屋敷と言われるような散らかりぐあいだったそうだ。

お婆さんは自閉症で、自分ひとりでは何も出来ない人だった。
きっと親はもとより、多くの親類縁者も先立ってしまったのだろう。家の中は散らかり放題で、掃除する人は誰もいなかった。
お年寄りの友人が多いTさんは、知人の紹介でそのお婆さんの家の掃除をする事になった。

「知的発達障がいって、知能が発達していなくて、社会に適応出来ない人だと単純に思っていたんだ。あのお婆さんに会うまでは」
家の中は散らかり放題。そんな処に住んでいる人は社会への適応性が無い人だと思っていたTさん。

「あのお婆さんは、人との付き合いが出来ない、社会適応性が無いただのお婆さんだと思っていた。でも、あんなに心が純粋で綺麗な人に会ったのは初めて」
そのお婆さんはTさんの考えをがらっと変えてしまった。そのお婆さんと一緒にいるだけで、Tさんの心がゆったりと開くのを感じたそうだ。そしてそう感じた時、涙がとめどなく流れてきたと言う。

「人間の価値というのは、社会に適応が出来るとか、言葉が上手に話せるとか、そういう事で決まるんじゃ無い。あのお婆さんに出会って、生まれて初めてそう感じた。今までの概念が180度変わった」
そしてTさんは僕に問いかけてきた。

「あなたはどう思う? 
知的発達障がいの人が改善していくのを見ていて、言葉が上手に話せるようになって、社会に適応出来るようになって、でもそれが目的なの?
その人の持つ心の純粋性って、社会から隔離されているから保てるもので、
社会に適応出来るようになったら、だんだんと失われる物じゃないのかしら。

言葉が話せるようになって、社会適応性が良くなって、でも純粋な心を失ってしまったら、それが改善の目的と言えるのかしら?」
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by rev-umachan | 2012-04-18 16:35 | アルジャーノン プロジェクト | Trackback | Comments(0)